第三の天とサタンのとげ

第三の天とサタンのとげ

 

コリント人への手紙二 12:1-4「しかし、主からの幻と啓示について語るのは、無益なことかもしれませんが、私は誇らなければなりません。私はキリストにある一人の人を知っています。彼は十四年前、肉のままであったか、肉を離れたか、私は知りません。神はご存じです。第三の天に引き上げられました。私はそのような人を知っています。肉のままであったか、肉を離れたか、私は知りません。神はご存じです。彼はパラダイスに引き上げられ、言い表せない言葉、人が口に出してはならないことを聞きました。」パウロは第三の天、つまり彼がパラダイスと呼んだ場所をしました。彼は言葉では言い表せない神秘的なをしたのです。

コリント人への第二の手紙 12:7-9 『そして、私が啓示(アポカリプセオン)が豊かにえられて、高ぶりすぎないように、私の肉(サルキ)に一つのとげ(スコロスサルキ)がえられました。それは私を打ちのめすサタンの使いです。私は三度、それを取り除いてくださるように主に願いました。しかし、主は私に言われました。「私のみはあなたに十分である。私の力は弱いところにこそ完全に現れる。」ですから、私はキリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇りましょう。』 パウロは肉のとげについての物語を第三の天へとけます。

使徒パウロは第三の天について語った後、肉のとげについて語りました。このように、第三の天と肉のとげはつながっています。パウロは第三の天に上げられるという驚くべきをし、神は彼が高ぶりすぎないように、サタンを通してとげを用意されました。

マ人への手紙 7:21-23 「ですから、私は律法を知ります。善を行おうとする私を、が近くに待ち構えているのです。私はなる人の中で神の律法を喜んでいますが、私の肢の中では別の律法がいていて、私の心の律法とい、肢の中に住む罪の律法のとりこになっているのを見ます。」

聖徒たちにとって、古い神殿(古い人)と新しい神殿(新しい人)があります。古い神殿には十字架で死んだイエスキリストがおり、新しい神殿には復活したイエスキリストがいます。十字架で死んだイエスキリストは神によって裁かれました。そして、復活したイエスキリストは神の御子として、キリストに入る人に復活と永遠の命をえます。

古い神殿で裁かれたイエスキリストは地獄に行きました。イエスは死に、悔い改める人を天に導くために地獄に行きました。これは、イエスキリストなしで生きる人的に地獄にいることを意味します。

しかし、地獄に落ちたイエスは三日後に復活し、聖徒たちの心の中に入られました。これは、心の中に新しい神殿が築かれたことを意味します。

新しい神殿に住むイエスキリストは、聖徒たちの心の中にある天に住まわれます。同に、キリストにある者は天にも座しておられると書かれています。エペソ人への手紙26節、「そして、キリストイエスにおいて、私たちを共によみがえらせ、共に天の所に座らせてくださいました。」この天とは、魂の中にある神の、第三の天、そして天そのものです。

聖徒には肉身とがあります。肉身(肉心)は古い自分のであり、心)は復活の命のです。このように、二つのと二つの心があり、人のアイデンティティは心)に置かれなければなりません。

は天に座しておられるので、サタンはそこに近づくことができません。それは罪とは全く係ありません。ヨハネ第一39節、「神から生まれた者は誰も罪を犯しません。神の種がその人の中にとどまっているからです。また、神から生まれた者なので、罪を犯すことはできません。」ヨハネ第一518節、「私たちは、神から生まれた者は誰も罪を犯さないことを知っています。神から生まれた者は自分を守り、い者は彼にれることができません。」

神は、的なを持って生まれた者を、律法によって罪の責任を問うことはないとおっしゃっています。ロマ人への手紙81-2節には、「ですから、キリストイエスにある者は、もはや罪に定められることはありません。キリストイエスによって、いのちをえる御の律法が、罪と死の律法から、あなた方を解放したからです。」とあります。

しかし、信者であっても肉の心にってしまうことがあります。信者が肉のを自分のものと認めると、そのに由するすべてのものが生き返ります。肉の感情、過去の記憶、血への望、怒り――こうしたものが再び浮かび上がり、心をひっくり返します。このような瞬間に、サタンのとげが刺さるのです。

スコロスサルキス(σκόλοψ τ σαρκί)とは、肉のとげを意味します。肉のは罪のとも呼ばれ、新しく生まれた者でさえ、肉ののために常に不安定な態に見えるのです。

聖徒たちは聖に導かれ、自らのアイデンティティを心に置かなければなりません。これは、新しく生まれた者にもてはまります。聖徒たちは、罪の赦しを求めて再びイエスの血を求めるという愚かな行に手を染めてはなりません。彼らは古い自分の死をえ、聖の導きを日祈り、肉のきを拒まなければなりません。サタンの棘に刺されてもに執着する者にとって、これは死にさえつながります。

しかし、信者が肉に屈服するような行いをけるなら、苦難が降りかかります。神はサタンに刺す棘をえます。使徒パウロを刺した棘が何であったかは記っていないので、確かなことは分かりませんが、彼の肉に何かあったのかもしれません。彼は怒りっぽいことで知られていました。そのため、彼とバルナバはマルコの件で口論になり、袂を分かちました。

イエスは弟子たちに、自分が三日後に死んで復活することを繰り返し告げました。ペテロがこれに抗議したとき、サタンは彼を支配しようとしました。マタイ1622-23節にはこうあります。「しかし、ペテロはペテロをわきへ呼び寄せて、しかりつけて言った。『主よ、とんでもない。そんなことは決してあなたには起こりません。』しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。『サタンよ、引き下がれ。あなたはわたしのつまずきとなる。あなたは神のことを思わず、人のことを思っている。』」

この場面はペテロがサタンであるという話ではなく、サタンがペテロを支配しようとしたまさにその瞬間に、イエスがサタンを打ち破ったという話です。そしてイエスはペテロを叱責します。ペテロが神のことではなく人間のことを考えていると叱責します。神の御業とは、神が成し遂げようとしている十字架の死と復活、そして人類の救いにするものです。しかし、人間のことはこの世のことになってしまうのです。


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