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の木の実と善悪を知る木の実を食べようとする者たち

  命の木の 実 と善 悪 を知る木の 実 を食べようとする者たち   ロ ー マ人への手紙 7:12 「ですから、律法は聖であり、戒めも聖で、正しく、善いのです。」 律法は神の聖なる言葉です。律法の中には、行いの契約と 恵 みの契約があります。行いの契約は、律法の 613 の 条 項すべてを守ることによって神の民となることができると定めています。そのため、イスラエル人は律法の規定を熱心に守ろうとしましたが、決して守ることができませんでした。最終的に、彼らは 犠 牲の捧げ物を通して神から罪の赦しを受けました。 犠 牲の捧げ物を通して罪の赦しを受けること、それが 恵 みの契約です。 律法の範 囲内 で規則を守ろうとする者は、最終的に行いの契約、つまり律法主義に 陥 ります。これはイエスの時代のパリサイ人の典型です。信者は律法と律法主義を混同してはなりません。 多くの牧師は、「律法の文面を守ること」を「律法主義」と同一視して信者を混 乱 させます。彼らは律法ではなく律法主義を通して 説 明すべきです。 しかし、律法における 犠 牲の捧げ物を通してメシアを見出す者は、 恵 みの契約に入ります。 恵 みの契約に入る者は、命の木の 実 を食べます。 しかし、律法における行いの契約に入る者は、善 悪 を知る木の 実 を食べる者です。善 悪 を知る木の 実 を食べる者は、自分の努力によって神の義を得られると信じる者です。 命の木と善 悪 を知る木はどちらも、神の言葉である律法の中にある信念に基づいて選ばれます。「自分ではできず、キリストを通して救いを求める者だけ が」命の木の 実 を食べるのです。しかし、自らの努力で義を求める者は、善 悪 を知る木の 実 を食べる者です。 イエスは 麦 と毒 麦 のたとえ話をされました。 麦 は福音を聞いて命の木の 実 を食べる者、つまり 霊 にアイデンティティを置く者を表しています。一方、毒 麦 は自らの義を 実 現しようと熱心に努力する者、つまり肉にアイデンティティを置く者を表しています。イエスは彼らに、毒 麦 を 抜 くのではなく、そのままにしておくように言われました。信者の心の中にも、毒 麦 は共存しています。神は後にそれを 焼 き 尽 くします。 信者の心の中には、 霊 の 体...