問83. 目に見えない教会の会員がこの世でキリストと共に享受する栄光の交わりとは何ですか?

 問83. 目に見えない教会の会員がこの世でキリストと共に享受する栄光の交わりとは何ですか?

答え:目に見えない教会の会員は、彼らの頭であるキリストの会員として、この世でキリストと共に栄光の初穂を享受し、キリストにおいてキリストが持つ栄光にあずかり、その保証として神の愛、良心の平安、聖霊の喜び、栄光の希望を享受します。一方、神の復讐心、良心の恐怖、そして裁きの恐怖は、悪人を追いかけます。そして、これらは死後に耐える苦しみの始まりです。


これは、イエスが復活について語る際にマリアに語った言葉です。ヨハネ11:25-26「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがない。あなたはこれを信じますか?」

マルタの兄弟ラザロが亡くなったとき、マルタはイエスが自分の家にいてくれたら死ななかっただろうと言いました。11章22節で、マルタは「私たちが神に求めるものは何でも、神は与えてくださると信じています」と答えています。だからこそイエスは「彼は再び生きる」と言われましたが、マルタは「再び生きる」を現在の出来事としてではなく、肉体の死後の未来の最後の日に起こる復活として考えていたのです。

11章23節から26節でイエスはマルタにこう言っています。「わたしは復活であり、命です。わたしを信じる者は、たとえ霊において死んでいても生きます。霊が生き返ると、天から信仰の賜物を受けて、決して死ぬことはありません。」この言葉を肉体の観点から見ると、「わたしを信じる者は、たとえ肉体が死んでも、いつか復活して生き、決して死ぬことはありません」という意味になります。

ヨハネによる福音書5章24-25節でイエスが語った言葉は、現在の復活の言葉であり、マルタが語った言葉は、ヨハネによる福音書5章28-29節で言及されている将来の復活を指しています。しかし、教理は「それはこの世に存在し、死後すぐに起こり、復活と審判の日に完成する」と述べて、現在と未来を結びつけ、統合しています。

霊が生きていないなら、それは命の言葉ではありません。悔い改めた者だけが霊において生きているのです。主は現在の復活です。神の力は、この瞬間に悔い改めた者に与えられます。悔い改めとは、罪を反省することではなく、罪に死に、罪に満ちた「自分を否定する」ことです。「死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」

これは復活の命への再生です。言い換えれば、再生とは現在の復活なのです。復活した者は、肉体を持ちながらも、イエスの復活のように霊体(霊的体)を持って復活すると信じています。この現世の復活を信じない者は、死後第二の死に苦しみます。死後第二の死に苦しまないためには、信者はこの現世の復活を信じなければなりません。つまり、信者は生きている間にイエス・キリスト(第二の死)と一体化して、現世の復活にあずかる必要があるのです。

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