問76. いのちに至る悔い改めとは何ですか?
問76. いのちに至る悔い改めとは何ですか?
答え:いのちに至る悔い改めとは、聖霊と神の言葉によって罪人の心にもたらされる救いの恵みです。その結果、罪人は自分の罪の危険性、汚れ、醜さを知り、感じ、悔い改めます。それゆえ、キリストにおいて与えられた神の憐れみを悟り、自分の罪を深く悲しみ、憎むようになります。そして、すべての罪から離れて神に立ち返り、すべてのことにおいて従順になり、絶えず神と共に歩むことを決意し、努力します。
教義によれば、悔い改めとは、全身全霊で罪から離れ、自分の罪の危険性、汚れ、醜さを知り、悔い改め、罪から離れようと絶えず努力することを意味します。
教会の人々はしばしば「悔い改める」という言葉を「過ちを悔い改め、告白し、赦しを求める」という意味で理解しています。信者が神の目に正しくないことをしたり、他の人に悪いことをしたり、神の子として他人から非難されるようなことをしたりすると、教会に来てその行いを悔い改め、神に赦しを祈ります。
イエスはイスラエルの人々に「悔い改めなさい」と言われました。もし彼らがイエスの「悔い改め」を、過ちを悔い改め、告白し、赦しを求めることと理解しているなら、彼らは聖書を誤解しています。
罪とは神から離れることです。神から離れ、自分で善悪を判断したり、神抜きで律法の基準で義を果たそうと考えること自体が罪です。ですから、そのような考え方は間違っているのです。ですから、「悔い改めなさい」という言葉は、自分で善悪を判断しようとするのではなく、神のもとに立ち返るようにと教えているのです。
今日でも、律法で自分を裁く人はたくさんいます。しかし、私たちがイエス・キリストにあっていれば、罪の問題は解決されます。「悔い改めなさい」という言葉は、「考え直す、後悔する、方向転換して立ち返る」という意味です。イエスがイスラエル人に悔い改めを命じたとき、それは律法を熱心に守ることで義を得ようとする努力を諦め、キリストに出会うことを意味していました。言い換えれば、神のもとに立ち返るように、つまり、自らの力で義を得ようとする努力を諦め、キリストのもとに立ち返るようにと告げたのです。
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