問75. 聖化とは何ですか。

 問75. 聖化とは何ですか。

答え:聖化とは神の恵みの業です。それは、神が世界の創造前から聖なる者として選んだ人々が、時が来ると、聖霊の力強い働きを通して、キリストの死と復活に当てはめられることです。こうして、神のかたちに形作られた人々は新たにされ、命に至る悔い改めの種やその他の救いの恵みが彼らの心に植えられ、これらの恵みがかき立てられ、増し加わり、強められ、彼らはますます罪に死に、新しい命に生きるようになります。


聖さをまとっている人々は、世界の創造前から決まっていたわけではありません。神は世界の創造前からキリストを予定し、キリストに入る人々に聖さを与えました。神はキリストを予定されました。そして、この予定が計画通りに実行されるために、世界の創造前から選ばれた人々がいました。

預言者や信仰の開拓者たちがいました。イエスの時代の弟子たちも含まれていたでしょう。その後、選ばれた多くの人々も現れたでしょう。神はまた、御霊を通して彼らに聖さを着せました。しかし、キリストに入る者は、あらかじめ定められた者ではなく、悔い改め、立ち返り、神に叫び求め、罪から解放されて神によって聖なる者と認められた者です。

ほとんどの信者は、聖さを神のご性質と考えます。多くの牧師は信者に、神に似た生き方をすべきだと教えます。そのように生きれば、罪深さは徐々に消え去り、神の恵みがあふれ、聖化された生き方をするようになるという論理です。ですから、彼らは神のかたちが回復され、信者の心は新たにされ、神に喜ばれる者となると言います。このようなことを言う人は、福音とは何かを正確に理解していません。彼らの多くは福音と律法を混同していますが、そのことに気づいていません。

聖さは罪の反対です。罪深い人は決して聖なる者になることはできません。そして、すべての人間は自らの力で聖なる者になることはできない存在です。ですから、罪人が罪から解放されれば聖性へと進むことができますが、イエス・キリスト以外には罪から解放されている者はいません。

イエス・キリストの贖いの死は、悔い改めた罪人を聖なる者とすることです。これは罪人の努力によってではなく、イエス・キリストの犠牲を通して神の絶対的な恵みによって達成されます。ですから、聖性という言葉はイエス・キリストの犠牲の代価なのです。

「神のようになる、イエスのようになる」というのは、自らの努力による行為であり、聖性を達成するものではなく、聖なる者となった人が霊的成長を遂げるための道となります。しかし、これもまた実体のない行為です。

神のようになる、あるいはイエスのようになるとは、具体的に何を意味するのかは明らかではありません。信者は教会生活に熱心に取り組んでいると牧師から称賛されるかもしれませんが、神は福音を宣べ伝えること以外を称賛されません。また、信者は神の名をたたえるために自らを犠牲にし、称賛を受けるかもしれませんが、神は罪人から栄光を受けることはありません。信者が罪人に福音を宣べ伝え、彼らを立ち返らせたとしても、神が聞きたいのは罪人の悔い改めの叫びだけです。ですから、彼らのようになる人生は真実ではありません。もし牧師がこのようなことを言うなら、彼らは聖さの意味を理解していません。

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