問72. 義と認める信仰とは何ですか?
問72. 義と認める信仰とは何ですか?
答え:義と認める信仰とは、神の御霊と御言葉によって罪人の心にもたらされる救いの恵みです。信仰によって、人は自分の罪と悲惨さ、そして自分自身も他のいかなる被造物も、自分を失われた状態から回復させる力がないことを確信します。そして福音の約束が真実であることを認め、キリストとその義を受け入れ、それに頼ることによって罪の赦しを受け、神の前に義と認められ、救われます。
教義では、信仰は聖霊と御言葉を通して罪人の心に実現されるとされています。しかし、罪人の心は神の律法に従うことができず、神の敵である肉の心です。天からの信仰はどのようにして生じるのでしょうか?この信仰は、律法を通して義を得ようとする肉の心の信仰です。肉の心(肉体)が死ぬときのみ、人は天からの信仰を持つことができます。
事実、神の霊が来るためには、肉の心が死ななければなりません。人は律法を守るだけでは義を得ることができません。律法を通して、人は自分の罪を悟り、神に死なざるを得ないことを悟ります。これは信仰を通してではなく、律法を通して悟られます。ですから、罪人は犠牲なしには義を得ることができないことを悟るのです。まず、罪人は犠牲と共に死ななければなりません。そうして初めて、罪の赦しを受けます。罪の赦しを受けた後、神は聖霊の光を送り、信仰を与えてくださいます。そして、この信仰は天からの復活の命となります。
質疑応答でご覧のとおり、罪人の罪の体が死ななければならないとは書かれていません。教理によれば、悔い改め、信仰、義、そして罪の赦しは、罪人の心の中で実現されます。しかし、幕屋が分けられていたように、信者の肉の心と霊の心の区別がつかないなら、彼は依然として律法の下では罪人のままです。したがって、信者は毎日自分の罪を告白し、赦しを受けなければならないと信じています。
「私たちは、彼らも私たちと同じように、主イエスの恵みによって救われると信じています。」イエスの恵みとは、贖いの死と復活であり、罪人が毎日罪を赦されることで罪が消滅するのではなく、贖いの死を遂げたイエスと一体となって罪人が死ぬことで罪が消滅するのです。
神の正義とは、神は罪を赦すのではなく、罪の代価を払わなければならないということです。神は、悔い改めた罪人が十字架上で死んだとみなされるように、御子を罪の姿で十字架上で死なせました。イエスは十字架上で死にましたが、信者はイエスを見つめる罪人も死んだことを知らなければなりません。つまり、罪人の罪の体は死に、死んだ人は罪の赦しを受けるのです。そして、神は聖霊の光を照らし、死んだ霊を生き返らせます。これが復活の聖霊の洗礼です。
洗礼は、水と聖霊を通して新たに生まれる儀式です。古い自分は水の中で死に、聖霊を通して命に生まれ変わります。洗礼とは、心の割礼を意味します。割礼は肉体の死を意味し、契約を持つ者を意味しますが、割礼の約束はイエス・キリストの死によって成就されたので、もはや必要ありません。しかし、パウロの時代には、割礼の儀式を行わなければならないと主張するユダヤ人がいました。割礼は律法の一部ですが、割礼が必要だと主張するユダヤ人は、福音によって救われると言いながら、律法も守らなければならないと主張しました。
今日の教会共同体の中で、福音を信じていると言いながら、律法を守ろうとしている人はどれほどいるでしょうか。それは、彼らが誤った教義に縛られているからです。彼らは神の言葉によって啓示を受けるべきなのに、教義を通して理解しようとします。そしてその過程で彼らは聖霊を受けたと言います。
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