問71. 義認はどのようにして無償の恵みの行為となるのでしょうか。
問71. 義認はどのようにして無償の恵みの行為となるのでしょうか。
答え:キリストは、義とされる人々のために、ご自身の従順と死によって、神の義を完全に、真に、十分に満たされました。しかし神は、ご自分の義を彼らに帰するために、ご自分の独り子を保証人として差し出し、保証人に彼らの義認を要求されました。そして、神は彼らの義認のために、神の賜物でもある信仰以外に何も要求されなかったため、彼らの義認は無償の恵みにほかなりません。
キリストの従順とは十字架の死です。十字架の死は神の正義の裁きであり、聖徒たちを救うための代価です。聖徒たちは神によって義とされることができるのは、神の御子であるイエス・キリストが聖徒たちのために代価を支払われたからです。
贖いという言葉は、代価を払って奴隷を買うという概念です。聖徒たちの視点から見ると、彼らは無償で受けたように見えますが、イエスが代価を払って義となられたので、聖徒たちは恵みの負債者となります。ローマ人への手紙1章14~15節「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、賢い人にも愚かな人にも、負債者です。ですから、ローマにいるあなた方にも、福音を宣べ伝えたいのです。」
「信仰による救い」という言葉における信仰とは、イエス・キリストのことです。信者がイエス・キリストを信じる理由を見つけ、この方こそ救いに導く方であると確信したとき、イエス・キリストは信仰そのものになります。信者がイエスを信じるという概念ではなく、信者がイエスと一体となり、一体となったとき、それはキリストへの信仰となります。イエスは私の信仰となり、イエスが語られた言葉は、イエスへの信仰を通して私に移されるのです。
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