問60. 福音を聞いたことがなく、したがってイエス・キリストを知らず、信じていない人は、理性の光に従って生きることによって救いを得ることができますか?

 問60. 福音を聞いたことがなく、したがってイエス・キリストを知らず、信じていない人は、理性の光に従って生きることによって救いを得ることができますか?


答え:福音を聞いたことがなく、したがってイエス・キリストを知らず、信じていない人は、どんなに熱心に、そして熱心に自然の光に従おうと努め、あるいは自分が信じている宗教の律法を守ろうと努めても、救いを得ることはできません。救いはキリスト以外にはなく、キリストのみにあります。キリストは、ご自身の体である教会の救い主です。


ローマ人への手紙 2:14-15 『(律法を持たない異邦人が、生まれながらに律法のわざを行うとき、彼らは律法を持たないにもかかわらず、自分自身が律法なのです。律法のわざが心に書かれていることを示しており、彼らの良心が証しをし、彼らの思いが互いに責め合い、あるいは弁明し合っているのです。)』

良心は救いの重要な基盤です。ペテロの手紙一3章21節には、「今やあなたたちを救うのは、体の汚れを取り除くことではなく、イエス・キリストの復活によって、神に正しい良心(シネイテセオス συνειδήσεως)を求める祈りによる洗礼です」とあります。

良心はギリシャ語でスネイデシスと呼ばれ、「神と共にある心」を意味します。神は人をご自身のかたちに男と女に創造されたとき、良心を与えました。最初の人は神のかたち(キリスト:神殿)を持っていましたが、男と女に創造された後、神のかたちは消え去り、自己という偶像が主となりました。したがって、キリストは存在しないので、すべての人は罪人となります。

イエス・キリストの信仰を受け入れる人もいれば、受け入れない人もいます。信仰と一つになる基準は良心です。死んでいない生きた良心を持つ人もいれば、死んだ良心を持つためにキリストを受け入れることができない人もいます。良心を支配するのは、天のパンを食べたかどうかです。

種まきのたとえ話で、良い畑とは農夫が耕し、育てた畑のことです。良い畑となって実を結ぶのです。心の畑を神の国のために耕すということは、神の国について多くの思いと反省を通して良い畑となることを意味します。そうして、その実は心の糧となり、良心を養います。

しかし、その良心は良い良心になるわけではありません。イエス・キリストと一つになった時に良い良心になります。良い良心になった人の特徴は、自分が非常に悪い存在であることを自覚することです。ですから、徐々に自分が神から離れた存在であることを自覚し、福音を受け入れます。

コメント

このブログの人気の投稿

問35. 新約時代において、恵みの契約はどのように執行されますか?

あなたがたのために天にたくわえてある

救いの霊と助けの霊