問3. 神の言葉とは何ですか?

 問3. 神の言葉とは何ですか?

答え:旧約聖書と新約聖書は神の言葉であり、信仰と実践の唯一の規範です。

信仰の律法によれば、神の言葉は律法と福音という二つの主要な分野に見出すことができます。律法は「するべきか、するべきでないか」という行為の戒めと言えるでしょう。一方、律法の言葉は、人々が神の戒めを完全に守ることのできない存在であることを自覚し、キリストを見出すための言葉であり、福音はキリストが来られたこと、そしてキリストに入るなら救われるというものです。したがって、神の言葉は救いに導く信仰の律法と言えるでしょう。

しかし、行いという唯一の律法に基づいて見れば、律法は律法主義に変容する可能性があります。律法主義は行いを強調するため、福音は行いから切り離されてしまう可能性があります。イエス・キリストの信仰に入るなら救われるが、行いがそれに従わなければならないという条件が付けられます。この条件を付けるのが律法主義です。

ヤコブの手紙 2:14-17 兄弟たちよ。もしある人が「自分は信仰を持っている」と言っても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。信仰はその人を救うことができるでしょうか。兄弟または姉妹が裸で、日々の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのうちのひとりが、「安心して行きなさい。暖まり、満腹しなさい」と言っても、体に必要なものを与えなければ、何の役に立つでしょうか。同じように、信仰も行いを伴わないなら、それだけでは死んだものです。

当時、福音を受け入れたユダヤ人の中に、福音を信じながらも、救われるためには割礼を受けなければならないと考える人が大勢いました。この問題のために、エルサレムの教会で第一回会議が開かれ、割礼はイエス・キリストとの契約であると宣言されました。そして、イエスがこの世に来られ、十字架で死に、復活された今、割礼の契約は成就し、もはや割礼は必要ない、と宣言されました。しかし、多くのユダヤ人は依然として割礼を主張したので、ヤコブは行いについて語りました。ヤコブが語った行いとは、割礼を放棄する行為と、霊的な糧である復活の命を与える行為を意味していました。

ですから、神の言葉が唯一の行動規範であると言うならば、その行動とは律法に定められたことを守り実践することを意味しますが、これは旧約聖書と新約聖書における神の言葉の意味とは異なります。神の言葉とは、律法を完全に守り実践することではなく、律法主義を捨て、復活の命へと進むことを意味します。

コメント

このブログの人気の投稿

問35. 新約時代において、恵みの契約はどのように執行されますか?

あなたがたのために天にたくわえてある

救いの霊と助けの霊