問20. 創造後、堕落前の人間の状態に関する神の摂理とはどのようなものでしたか。
問20. 創造後、堕落前の人間の状態に関する神の摂理とはどのようなものでしたか。
答。創造後、堕落前の人間の状態に関する神の摂理とは、人間を楽園に置き、それを耕作させ、地の産物を自由に食べさせ、他の被造物を神の支配下に置き、人間を助ける伴侶と結婚させることでした。また、神は人間に神ご自身との交わりの機会を与え、安息日を制定し、完全な個人的かつ永遠の服従を条件に人間と生命の契約を結びました。その契約の保証として生命の木の実が与えられ、善悪を知る木の実を食べることを禁じられました。その罰は死でした。
創世記(1章~3章)には、神が天地を創造し、次に人間を創造し、エデンの園を創造してそこに置かれたと記されています。創世記2章7-8節「主なる神は土の塵で人を造り、その鼻に命の息を吹き込まれた。人は生きた者となった。主なる神は東の方にエデンの園を設け、その造った人をそこに置かれた。」
創世記2章と3章には、エデンの命の木、園の中央の木の実を食べてはならないという戒め、四つの川とそれを守り耕せという戒め、獣と鳥の名前とそれらを支配するようにという戒め、そしてベフィルの物語が記されています。
神が人を創造した後、堕落する前の人間には二つの姿があります。一つ目は、この世に創造された人間の姿です。創世記2章7節で「人は生きた者となった」とありますが、これは「ネフェシュ・ハイ」とは生き物という意味です。それは限られた命です。限られた命は必ず死ななければなりません。
二つ目は、エデンにおける人間の姿です。生命の木の実を食べるというイメージにおいて、生命の木とは永遠の命の木を意味し、永遠の命の木はこの世にあるのではなく、霊的に死なない神の国の話として捉えることができます。そのため、この世は霊的な死の場となります。エデンとは、人の心の中にある神の国を意味します。
神は、限られた寿命を持つ人間を地上に創造しましたが、多くの人は、神が永遠に生きられる楽園、生命の木の実を食べて永遠に祝福の中で生きられる楽園を創造したと考えています。しかし、これは物理的な話ではなく、霊的な話です。
神は物質世界を創造し、人間を創造しましたが、人間は霊的に死んでいます。霊的に死んでいるのは、天使の罪によって彼の霊が地上に閉じ込められており、神を知らないからです。だからこそ、神は人間の心に神の神殿(エデン)を置きました。そして、その神殿に神がおり、私たちは神の言葉(生命の木の実)を食べて生きるようにと告げられているのです。
魂の中の神の国を通して、罪深い天使たちがこの世に来る前に、神の国でどのような物語を語っていたのかを悟りなさいと語る言葉です。最初の人間から男と女が創造されましたが、エバは神のようになりたくて罪を犯し、その夫も罪を犯したため、再びこの世に投げ出されました。これは、罪深い天使たちが神に罪を犯したために地獄に閉じ込められたことを意味します。地獄とはこの世のことです。ペテロの手紙二 2:4 「神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、地獄に投げ込み、審判の時まで暗黒の鎖で繋いでおられたのです。」
エデンでは神と蛇であるサタンが登場し、最初の男と最初の女が引き離され、男と女の創造も示されます。園には生命の木と木もありましたが、蛇が神のようになれると言ってエバが実を食べ、夫に与えたため、神の罰を受け、再びこの世に追放されます。
これを神の国のストーリーにそのまま当てはめると、悪天使たちが神(キリスト)に敵対し、その支配から逃れようとしたことになります。なぜなら、力を合わせれば神のようになれると考えたからです。彼らが実を食べたということは、彼らの貪欲さが働き、神に敵対したため、神は彼らを物質の中に閉じ込めたということです。これは、神が彼らをエデンからこの世に送り返したことを意味します。また、罪を犯した天使たちの霊を神の国からこの世に送ったことも意味します。
人がこの世で生きるということは、魂の中に神殿があるのに、神はそこにいないということです。神は去ってしまったのです。このたとえ話は、ぶどう園と農夫の物語になります。魂の中の神殿では、人は主人として座ります。
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