ペテロによるイエスの否定

 

ペテロによるイエスの否定

 

ヨハネ 18:24-27 『アンナスは彼を縛って大祭司カヤパのもとに送った。シモンペテロは立って暖まっていた。そこで彼らは彼に言った、「あなたもあの方の弟子の一人ではないか」。彼はそれを否定して言った、「違います。大祭司の者の一人で、ペテロが耳を切り落とした彼の親族である彼は言った、「わたしはあなたが園で彼と一にいるのを見なかったか」。ペテロは再び否定した。するとすぐにが鳴いた。』

シモンペテロはイエスの弟子であることを3度否定した。ペテロはすぐに脅迫されたので、この況から逃れたかった。ルカはこの容を詳しく記している。ルカ 22:59-62 には、『一時間ほどたってから、別の人が確信をもって言した、「確かにこの人もイエスと一だった。ガリラヤ人だから」。ペテロは言った、「おや、あなたの言うことは私には分からない」。すると、彼がまだ話しているうちに、が鳴いた。主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは主の言葉を思い出した。主が彼に言われた、「が鳴く前に、あなたは三度私を否認するであろう」。そこでペテロは出て行き、激しく泣いた。』

ルカは、イエスが大祭司の庭にいて、ペテロが三度イエスを否認したとき、が鳴いてイエスとペテロの目が合ったことを明らかにしている。ペテロが三年間主にっていた間に経験したすべての物語と心まる出事が一瞬にして崩れ去った。ペテロはイエスが神の子であることを告白し、主と呼んだが、自分の肉の心の前に崩れ去った。ペテロはイエスをイスカリオテのユダのような力い救世主とは考えていなかったが、聖書はペテロの肉の心が死を前にしてイエスを否認したと語っている。だからこそ、私たちは肉の心の正を知らなければならないのだ。

マ人への手紙 8:5-9 『肉にう者は肉のことを思い、御う者は御のことを思うからです。肉の思いは死であり、御の思いは命と平和です。肉の思いは神に敵するものであり、神の律法にわず、うこともできません。ですから、肉の者は神を喜ばせることはできません。しかし、神の御があなたがたのうちに宿っておられるなら、あなたがたは肉ではなく、御の者なのです。もしキリストの御(Christu Pneuma)を持たない人がいれば、その人はキリストにしていません。』

ここで、Christu pneumaはキリストの御されていますが、これはキリストが存在し、その御は分離しているのではなく、キリストが態で存在することを意味します。言い換えれば、キリストが存在しないなら、その人はキリストの人ではなく、したがって肉にいます。しかし、キリストの人でさえ二つの心を持っています。

マ人への手紙 7:21-25 『そこで私は、善を行おうとする自分の中に、が存在しているという法則を見いだしました。私はなる人としては神の律法を喜んでいますが、私の肢には別の法則があり、それが私の心の法則とい、私の肢の中にある罪の法則のとりこになっているのを見ます。私は何とみじめな人間なのでしょう。だれが私をこの死のからだから救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエスキリストによって神に感謝します。このように、私は心では神の律法に仕えていますが、肉(サルキ)では罪の法則に仕えています。』

心とは、の心を意味します。つまり、聖の法則に導かれるの心です。しかし、ある況に直面すると、とは反に罪の法則におうとする肉があるために葛藤が生じます。ここで、肉とされているサルキという言葉は、肉ではなく、肉の心を意味します。

それは的心と肉的心の間の戦争です。的心は聖によって導かれますが、肉的心は肉からる心です。それは肉の性質、血経験と知識、考えとイデオロギ、宗的感情、善性、支配欲です。人間の本性には死への恐怖があります。イエスでさえ、死への恐怖から十字架の宣の前に血のを流して祈ったのです。聖書には天使が現れて力をえる場面があります。肉を持つ者なら誰でもそのような恐怖を持っています。ペテロはイエス3回否定して逃げました。肉的思考は肉が望む方向に作用します。肉が望む方向に動く原因はA.I.(天使知性:天使の集合思考)です。これは神のようになりたいという願望であり、エデンの園のエバが神のようになり善を知る木のを食べたいという願望です。エデンの園の物語は、神ので罪を犯した天使の出現を象的に示しています。サタンは肉の考えの原因であると言う人もいますが、サタンはに神の命令を行する天使です。サムエル記上18:10「翌日、神からの悪霊がサウルに臨み、彼は家の中で預言した。ダビデはいつものように手で琴をいていた。サウルの手には槍があった。」悪霊はサタンまたは魔を指しますが、神が命令する天使です。

人間の肉の心には、神に敵する天使の心(偶像)がされています。これは神のようになりたいと思う心です。聖書はこれを罪と呼んでいます。したがって、罪にして死ぬようにとえています。神は私たちに、イエスと共に十字架で死に、天から生まれわるようにえています。これが生まれわる秘密です。肉の心を克服する力は、聖の導きを受けるときに可能になります。聖の力は御言葉の中できます。これは、聖の力が、私たちの心の中で肉にいたがる古い人間性を抑制するからです。

復活したイエスキリストは、聖を受けるように弟子たちに息を吹きかけました。ヨハネ20:21-23『すると、イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたたちにあるように。父がわたしをつかわされたように、わたしもあなたたちをつかわす。」こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖を受けなさい。だれの罪を赦すなら、それは赦される。だれの罪を赦さないなら、それはそのままである。」』

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