イエス・キリスト
『しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。 』(ヘブライ9:11-12),『イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。』(ヨハネ2:19)すべてのユダヤ人は、3日で神殿を作るというイエスの言葉を売り込みました(3日で46年間神殿を取りました)。 しかし、私たちはその言葉の意味を知っています。 それは、神殿としてのイエスが3日で復活したことを意味します。ちょうど神殿が3日目に再建されたように、イエスは十字架で死に、3日で復活しました。私たちに必要なのは神殿や犠牲ではありませんが、私たちの体自体が神への犠牲でなければなりません。『兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 (ローマ12:1)
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