その名を世の初めからしるされていない者
『地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。耳のある者は、聞くがよい。とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。』(黙示録 13:8-10)
サタンは神の国で神に敵対していた者であった。彼は物質世界に追い出さ来て、エデンの園にも登場した。聖書は、彼のヘビと述べた。今日、彼はキリストに敵対する反キリストで表現される。サタンは人間の心に侵入して、イエスを信じられなくしたり、イエスを信じる者を殺した。イエスは当時のイスラエルの指導者たちによって十字架で死んだ。しかし、神は死んだイエスを三日目に復活させた。そして、神は空中の権威を持っていたサタンをこの地に送った。主がこの地に再臨するとき、主はサタンを地獄に送る。サタンはその時だされていくことを知って、イエスを信じないように人々をだましている。
『それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。』(黙示録 13:15)
中世時、ロ-マ皇帝10人イエスを信じる者を殺した。主が再臨の時もそうなるだろう。今日もそのような国が 増えている。『ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。』(黙示録 14:9-10)
『その獣の像』これはお金、コンピュ-タと関係があります。今日では、お金がアイドルである。コンピュ-タのイメ-ジがまさに偶像である。お金を使用する方法は、次のように変 わるようになるだろう:現金でクレジットカ-ドに切り替えられ、携帯電話の中の小さなチップに置き換えられており、今後は、人々はこれを自分の体に植えるものである。
アメリカ人が子供を産めば、病院で手術をする前に、必ずメディケイドに署名しなければならない。彼らは何に署名すべきか? 国の法律が 変 更されると、 変更された法律に 従います。署名しなければMedicaidは適用されない場合、多くのお金を支払わなければならない。Medicaidは65歳未満の低所得層と障害者のための国家保健システムです。米国では、陸軍士官学校に入学するためには、彼らは体にチップを入れることに同意します。軍人がないか、危険に直面したとき、チップは、自分の位置を認識します。彼ら署名しなければ、彼らは学校に入学することができません。体にチップを入れる行為が増加します。チップが人工知能なら人の脳は、そのチップの影響を受けます。聖書は、額と手に印を受けないようにする。
聖書で言う666は、コンピュ-タとの 関連性がある。今後、人工知能が開発され、急速に 発展したときに、政府がそれを利用して、人間のすべてを制御する日が 来るかもしれない。人間は神と 悪魔の間に立っているのだ。神は地獄を作った理由は、サタンと悪天使たち入れるために作った。だから、サタンに 従う人間が多地獄に入ることになるだろう。
ノアの時代の避難所(Ark)に入っていない者は、水に落ちて死んだ。キリストの中に入らない者も地獄に入る。たとえ 教会に通ってますが、彼らは再び生まれなければ、救われない。今日、世界はお金を重視する。富を愛する者は救われない。富を愛する者は、その心の中に貪欲の偶像があるからである。偶像に頼る者は、神の国に入ることができない。偶像を身に入れる状況がすぐに到来するだろう。人間を支配する貪欲はいくら努力してもなくならない。すべての人間が死ななければなら貪欲がなくなる。しかし、人々は肉体を自ら殺すことはできない。死ぬ方法は、十字架のイエスと合わせてなるものである。聖書は、この方法を提示している。ロ-マ(6:4-6)で 説明している。
『すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。』
洗 礼が箱舟の中に入る儀式である。 将来の666という印を額や手に受けなければ、商品を買って 売るようだと聖書は述べている。子羊の命の書に名が記されていない者は、すべての人がこれ(mark)を受けることになるという。子羊の命の書に記録されている人は、体が再び生まれた者だけである。霊の体で生まれ変わるためには、以前のものは死ぬならない。これ洗礼の儀式である。洗礼は死ぬことを示す。死ぬことは肉体から作られた貪欲の偶像が死ぬだろう。貪欲の偶像が死ぬ、物理的には生きているが、まるで 殻のようなものになる。
『耳のある者は、聞くがよい。
10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。』(黙示録 13:9-10)
この言葉は、翻訳が間違っている。中世にオリゲンのジェロ-ムのような人は、「人々が聖書の言葉を理解していないときは、聖書を理解できるように修正することができる」と述べた。だから1700年の間に約20,000件の聖書の内容を変えていた。修理されたコピーをシナイ山コピーという。マーティン・ルーサー・はシナイ山のコピーではなく、初代教会の時から収容原文の聖書を読んできた。聖書の中で「捕われる者捕らわれて行くであろう。」と翻訳された部分は、収容原文で"捕虜として連れて行く者は捕らわれて行くであろう。」とされている。聖書に「剣によって死ぬ者は、当然の剣に死ぬのだから」この言葉は、原文に「剣で"殺す者は、彼も当然剣に死ぬのだから」となっている。
今日、米国で翻訳されたNIV(New international Version)は、変更された部分が多い。KJV(King James」Version)は、原稿を忠実に翻訳した。
NIV聖書は、「イエスを信じる信仰」と言うが、KJVは「イエスの信仰」である。イエスの中に入ると、イエスの信仰と同じことになる。イエスを信じる主体は、自己が、イエスの信仰の主体はイエスだ。罪人である人間は、神を知ることができない。ただイエスの中に入る者が神を知ることができる。イエスの信仰は、彼は神の子であるが、罪人の代わりに死んでドルおり、神が復活させてくださることを信じる信仰である。
コメント
コメントを投稿