肉の後または霊の後の存在

 (7)肉の後または霊の後の存在

『なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。  肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。  また、肉にある者は、神を喜ばせることができない(ローマ8:5-8) 』肉と霊は光と闇として共存することができます。

イエスはペテロに尋ねました 『そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。. (マルコ8:29) 』ピーターはイエスの多くの奇跡を目撃し、水上を歩いた経験があり、神から啓示を受けました。『それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、  しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、  イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。.』(マルコ8:31-33)

弟子たちはイエスの死を受け入れませんでした。 これは肉のことを気にします。 肉の心は神の言葉を受け入れることができません。 霊の心だけが神の言葉を受け入れることができます。 イエスとの十字架で死んだ人だけが、神から霊の体を受け取ることができます。

イエスはそう言われました 『それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 』(マルコ8:34)新鮮と霊の間にはたとえ話があります。『だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。.』(マタイ9:17)新しいワインは霊であり、新しいボトルは霊の体です。 


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