十人の処女のたとえ
『そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。 』(マタイ)25:1-13)
十人の処女は神を信じる人々です。 しかし、教会には5人の賢明な処女と5人の愚かな処女の2種類の人々がいます。 このたとえ話は、旧約聖書の律法に従う人々と聖霊の律法に従う人々を表しています。 ランプの油は聖霊を表しています。 旧約聖書の律法に従う人は、聖霊から始まりますが、救うことができない肉体になります。『すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。 であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。 わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。 』 (ローマ7:2-4)
旧約聖書の法律は、人が生きている間、イスラエル人に適用されました。 聖書は旧約聖書の律法を夫として説明しています。 ですから聖書は、イスラエルの人々は旧約聖書の法に拘束されていると言っています。 夫が生きているなら、妻が他の男に行くという二重の行動は淫行です。 罪人が旧約聖書の律法によって死ななかった場合、罪人は聖霊を受けることができません。 旧約聖書の法則は死にません。 しかし、罪人は死ななければなりません。 罪人はキリストに行くためにイエスとの十字架で死ななければなりません。 旧約聖書の法の下で罪人が死んだとき、夫が罪人を解放したような旧約聖書の法。 ですから、罪人は刑務所から出た後、キリストに行くことができます。 自由人として新たに生まれた罪人。 悔い改めは肉の心の死を表しています。 旧約聖書の法と聖霊は一緒になることはできません。 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。 (ローマ 8:1-2)
『では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。 断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。 』(ローマ 6:1-2)
バプテスマには次の意味があります。罪人は旧約聖書の法則(罪と死の法則)によって死にました。 バプテスマとは、イエスと共に死ぬという事実を意味します。 神は悔い改めた人がイエスと共に死んでおられることを認めておられます。『わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。 もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。 そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 』(ローマ7:15-17)旧約聖書の律法は、罪人を決して手放さない夫のようなものです。 旧約聖書の律法が罪人は善であると考える時があります。 罪人がイエスとの十字架で死ぬ時が来ました。 旧約聖書の律法に捕らえられれば逃げられないことに気づいた罪人だけが十字架で死にます。 それで、旧約聖書の律法は罪人を聖霊に引き渡されました。『さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。 』 (ローマ3:19)悔い改めない罪人は神によって裁かれます。 罪人は罪と死の法則によって裁かれます。 誰もが神の目には罪人です。
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