霊界としての神の国

(2)霊界としての神の国 人間は肉の目を通して神の霊的な王国を見ることができません。 神は聖書を通して人々に神の国について語られます。 使徒であったヨハネは、パトモス島に閉じ込められたときに見た神の国を黙示録に記録しました。この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。 その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。 』(黙示録21:10-11) 宝石は苦しみと忍耐を象徴しています。 そして使徒パウロもその経験を述べました。『わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。 わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。 この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである―― パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。』(コリントの信徒への手紙第二12:1‐4) 聖書は、新たに生まれる体は両親からの肉ではなく、神からのものであると説明しています。 イエスは死後の復活の状態を説明されました。『イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。 彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。』(マルコ12:24-25)聖書は、すべての人の霊が天使の霊であったことを暗示しています。『六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。 』(マタイ17:1-3)『主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。 』(マルコ16:19), 『祝福しておられるうちに、彼らを離れて、〔天にあげられた。〕 』(ルカ24:51)神の霊的な王国は、新たに生まれた体が入る場所であると考えることができます。 聖書は、エノクとエリヤは死ななかったが、彼らの体は変えられて天国に昇ったと言っています。 新たに生まれた体が体と一緒にあるかどうかはわかりませんが、常に神を喜ばせます。『だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。』(コリントの信徒への手紙第二5:6-9) 霊界は物質的・空間的概念の世界ではないので、霊界には宇宙の世界が含まれていると言えます。 物質界は精神のほんの一部に過ぎません。 神が光を照らさなければ、物質的な世界は暗い世界になります。 つまり、物質界は刑務所のように閉じ込められた世界です。 物質界は、海に捨てられる小瓶のようなものです。

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