はじめに

1.はじめに 聖書は、神が邪悪な天使を穴に入れるように、邪悪な天使は彼の立場を維持しなかったと言っています。聖書はまた、神が土のそばに人を創造されたと言っています。ピットは土ですか?穴が土だと思う人はほとんどいません。最初に創造された人間は思想家(魂)として生まれましたが、精神についての話はありません。 『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。 』(創世記2:7) 精神は死んでいます。救いは霊についての物語です。 『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。 』(ヨハネ6:63)地上のほとんどの人は霊の状態を知りません。人間は、新鮮な(魂)が死んでいない限り、精神が生きることができることを知りません。ですから、私たちは新たに生まれなければなりません。 『イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 』(ヨハネ3:5)これが復活です。邪悪な天使たちの霊が神の国に戻ることができる方法は、悔い改めて霊的な体として生まれ変わるしかないのです。なぜ新鮮な(魂)は死ぬべきですか?神のようになりたいという願望があるからです。聖書はそれを古いものとして表現しました。老人が死んだら、私たちは新しい命として復活することができます。 『すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、 なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。 』(フィリピ3:10-12) この世界の恩恵は、キリストに従うことと両立しません。この世界は神に対する罪であり、それは法です。だから私たちはそれについて死ななければなりません。 『断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。 』(ロ-マ 6:2)『わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。 』(ロ-マ7:4)『それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。 』(ロ-マ6:7)聖書はバプテスマについて説明しています。 『わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。』 (ロ-マ6:6-7) 『肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。 』 (コリント第一15:44)キリストにある者は復活した霊的な体になります。キリストにある人は、イエスの働きと同じです。キリストにある彼は、イエスとの十字架で死に、復活し、昇り、神の右座に座ります。 『キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 』 (エフェソス2:6) 神は唯一である。神は三位一体です。ですから、キリストにある者は十字架上でイエスと共に死に、復活し、昇り、神の右座に座りました。それは時間と空間を超越します。キリストにある者は、この地の十字架で死んでおり、神の国で神の右座に座っています。 『罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 』 (エフェソス2:5-6) これは、キリストにあるのと同じ人を意味します。キリストにある人は、両親から肉を受け取っただけでなく、神から霊的な体を受け取ったのです。聖霊はキリストにある人々に臨み、二つの体を結びつけます。聖霊は、この地球に住んでいる間、聖人を助けます。 『だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。 (コリントの信徒への手紙第二5:6-9) 』 両親から生まれる体は地上にありますが、十字架で亡くなったイエス・キリストと関係しているに違いありません。ですから、体の中に形成される心は死ななければなりません。キリストにおいて、体は神の右座に座って主に喜ばれます。この国では、イエス・キリストはまだ十字架で死なれた方です。ですから、聖徒たちは十字架に向かって走り続けなければなりません。 イエスは今、十字架で死んでいるのはどこですか?すべてのものの教会は十字架です。ですから、教会はキリストにおいて死ぬ聖人です。教会で死んでいない人は聖人になることはできません。イエスは黙示録の7つの教会に言われます。 『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。 』 (黙示録2:29)7つの教会は、今日の教会のあらゆるイメージを示していると言えます。

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