わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る
『 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。 』 (エレミヤ31章31節)
ヘブルで新しい契約をnew testamentと述べた。キリストが死んだ後に、遺言が行われるものであるからである。しかし、ここでエレミヤがnew covenantとした主なる神は死なないからである。新しい契約は、(ヘブルだった、エレミヤ書で投げ)、悔い改めなければ、契約を締結されない。神が出エジプトしたときに、ヘブライ人たちに、「私は子羊の血を見たときに君たちを越えう」と言ったこの契約は、「神がイスラエルの夫になる」という意味である。ところが、彼らはこの契約を目覚めてしまった。
『 これは主がモーセに命じて、モアブの地でイスラエルの人々と結ばせられた契約の言葉であって、ホレブで彼らと結ばれた契約のほかのものである。 』 (申命記29章1節)
『 あなたの神、主が、きょう、あなたと結ばれるあなたの神、主の契約と誓いとに、はいろうとしている。
これは主がさきにあなたに約束されたように、またあなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、きょう、あなたを立てて自分の民とし、またみずからあなたの神となられるためである。
』 (申命記29章12-13節)
聖書は、「神がアブラハム、イサク、ヤコブと立てた契約」を誓いとした。誓いは一方的な契約である。カナンに入る前に、神がモアブの地で言われた契約は、新しい契約(New Testment)である。エジプトで生まれた人々は古い人である。しかし、荒野で生まれた人は、新しい人だ。古い人と結んだ契約は、古い契約がされてしまっただって、ヘブライが契約を破棄してしまったからだ。モアブの地で新しい人と契約を再締結するので、その前の契約を古い契約と呼ばれる。
『 そのとき人々は言うであろう、『彼らはその先祖の神、主がエジプトの国から彼らを導き出して彼らと結ばれた契約をすて、 』 (申命記29章25節)
神が出エジプトしたときに契約をされた。この契約は、結婚に例えられる。そしてシナイ山で与えられた二つの石板を結婚許可証とした。ところが民が破棄してしまった。『さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。 』 (ロ-マ3章19節)
荒野にいた民、「カナンに入ると死ぬ」と言った人々は、神の裁きの下にあります。古い人は古い契約の下で死ぬので、彼らは契約を破るたからだ。
『しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
』(ロ-マ3章21節)
イエスは、「神の怒りの法」(律法)の下にある方ではなかった。ところが、パリサイ人たちは、「神の怒りの法」(律法)に十字架に死なれた。新しい契約を締結した者たち、キリストにある者たちは、「神の怒りの法」しかようになる。『こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 』(ロ-マ8章1節)
この言葉は、新しい契約を締結した者に適用する言葉である。新しい契約は、血で立てた契約である。つまり、十字架で死んだイエスと準が新しい契約に参加する者であるからである。新しい契約に参加する者は、彼ら肉に従わず、その霊に従う者だ。
『わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
』(ロ-マ7章23-24節)
私たちが神から罪赦さに、悪から解放されなければならない。今日の教会の人々は、まず、神から罪を許しを受けようとする。しかし、私たちが悪から救わを受けなければ、私たちがいくら罪を告白しても意味がないのだ。私たちは、悪から救わを受信しない場合は、まだ罪人なのに、罪の許しを得ることができないのだ。
『こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、/「救う者がシオンからきて、/ヤコブから不信心を追い払うであろう。 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、/彼らに対して立てるわたしの契約である」。』(ロ-マ11章26-27節)
救助者は、解放者を意味する。この契約は、まさに新しい契約である。この新しい契約は、肉に基づいて行動していなく、その霊に沿って行動する信徒に与えられるものである。十字架で死んだイエス・キリストと連合していない者は、新しい人ではなく、新しい契約にも参加していないのだ。ところが、人々がイエスの死と連合もなく、彼らはイエスを信じれば、新しい契約に参加したかのように言う。偽りの福音を言うものである。まるで砂の上に家を建てるようなものである。
『それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。 すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。
であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。 』(ロ-マ7章1-3節)
私たちは、神の怒りの法(律法)を守っていて、新しい契約に参加した言えば、神の目に淫婦ということだ。だから違法である。神の怒りの法は、夫と同じである。さらに、神の怒りの律法は完全で死なない。解決策は、私たちが神の怒りの法について死ぬだろう。神の怒りの法に対して死ぬために、神の怒りの法によって死んだイエス・キリストと連合する方法以外にないのだ。だから聖書は十字架で死んだ者になれと言う。『わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。 』(ロ-マ7章4節)
『断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。 』(ロ-マ6章2節)
洗礼は死者を示す。「古い人」が死ぬだろう。『それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。 』(ロ-マ6章7節)
(ローマ6章)は、罪に対して死んだ者の洗礼と説明するものである。『わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。』(ロ-マ6章6節)
(ローマ7章)は、神の激しい怒りの法について説明し、6章の罪について死んだことを説明する。だから、その実が表示される。『しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。 』
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