以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て
『すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。』(エペソ4:22-24)
誘惑は欺くものである。人間において、古い人と新しい人は同時に存在できない。古い人を脱ぎ捨ててしまうと、神が新しい人を着せてくださる。 『心の深みまで新たにされて』 nivとkjvが違いがある。 心の態度ではない、霊としなければならない。これが「再び生まれる」である。
『あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。だから、彼らの仲間になってはいけない。あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい 光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである』(エペソ5:6-9)
闇の子が古い人であり、光の子が新しい人である。中間はない。人が努力して、古い人が新しい人になるのではなく、古い人が死ななければなら新しい人が生まれ変わる。闇が光に変わるのではなく闇は消えなければならならない。今日では、ほとんどの教会の人々は、中間に考える。彼らは古い人の服を脱がずに、あらゆる努力を通じ、新しい人に切り替わるようにしている。
旧約聖書は新約聖書のモデルである。過去、ヘブライの民は、エジプトを脱出して、人が渡ることができない紅海を渡った。そして荒野が現れた。彼らは荒野を経て、川(ヨルダン)を渡り、カナンに入らなければならなかった。カナンに入ることが、キリストの中に入るようなものです。 神はヘブライの民に約束をした。「カナンに入ると地を与える」ところが2人(ヨシュア、カレブ)を除いては、誰も神の約束を信じなかった。その当時の人口が約200万人程度であった。だから、神は19歳以下の子供を除いては、誰もがカナンに入らないようにした。彼らは荒野でも死に、荒野で生まれた新しい人だけカナンに入った。だから、古い人は死ななければならない。古い人は、神の約束を信じていない肉の人を意味する。
カナンに入ることが、キリストの中に入るようなものです。エジプトを脱出して、紅海を渡るのは、世(富の貪欲)から出てくるだろう。イエスは四つ畑の比喩を通って、これを説明した。道端の畑(神様の御言葉を、悪魔が持って感)、砂利畑(と言って試験受け、言葉を捨てること)、いばら畑(言葉の種が育たなかった)。
悔い改めなければ、イエスを信じるだけで、救われるように言うのは三つの畑のタイプに属するものである。その代表的な人がイエスの弟子ペテロであった。彼はいろいろな種類の奇跡を経験し、信じられないほど精神的な体験をしたが、十字架に線イエスを捨てた。彼はイエスを三度否定した。悔い改めなければ、誰もがこのようにすることができる。悔い改めは、自分を否定するものである。世界のことを好むか、または恐れている者は、イエスと一緒に死のうとしていない。聖書はこれを知っている者に福音となる。
福音は、人間が悪のうちあることを知らせるニュースだ。福音は「人間が幸せで成功したとしても、死の前では何の意味がない」ということを教えてくれる。福音は、イエスのない者は、何の意味がないことを教えてくださる。神の名前がイエスだ。だから、イエス・キリストの中に入ってくる者が神の民となる。イエス・キリストの中に入るが、イエスの名前を信じる。彼救助者ということだ。イエスと一緒に十字架で死ななければイエス・キリストの中に
福音は、人間が邪悪であるニュースです。福音は私たちに「人は幸せで成功しても、死の前に何の意味がありません」と言います。福音は、イエスがない人は、無駄がないと通知されます。神の名前は、イエスです。ですから、イエス・キリストに入る人々は、神の民になります。イエス・キリストに入る人々は、イエスの名を信じている。彼は救世主です。イエスと一緒に十字架で死ななければ、イエス・キリストの中に入ることができません。従って、自己を否定するようである。彼ノアの時代に住んでいた水に陥って死んだのです。今日、ほとんどの教会の人々は、自分の罪を考えずに、イエスだけ望んでいる。 「悔い改めなければ、イエスを信じれば救われる」と言うことは嘘福音です。悔い改めなければ、イエスを三回否認したペテロのようになります。ルカで(22:31)。 :『 シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。』
十二弟子を通って、聖書が私たちに見せてくださるのは、すべての人間が悪である。闇の者は誰も十字架のイエスに従うことができないというものである。あなたが神秘的な体験をして、神の言葉に恵みを受けたというとしても、あなたが再び生まれなければ、救われない。また生まれ変わるためには、貪欲の古い人は、十字架で、イエスと一緒に死ななければならない。必ずイエスと一緒に死ななければなら、神が認めれる。
『わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。』(ロ-マ6:6-7)
悔い改める者は死を恐れているのではなく、神を恐れるものである。あなたが自分を否定すれば、水と聖霊と生まれ変わる。水は、ノアの時代の死を示し、聖霊は神の力で再び生まれる神の光である。あなたが後悔するとき、神から霊の光を贈り物として受け取ることになる。しかし、再び生まれたかどうかについては、自分の悔い改めの実を見れば分かる。悔い改めの実は私のクロスだ。
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