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さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者で あって

  『 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、 恵 みによるのである ―― 』 (エペソ 2 章 4-5 節) 人間は 生まれながら 原罪により 霊 が 死んいるので、肉の体が 汚染された。原罪は 肉的なものと 霊 的なものを 含む。私たちは 聖書を 通し知っように、アダムから受け 継 いだ原罪は 肉的なものである。肉的な 原罪は 心の中の 悪 (罪)であり、世の中に生きて、この 悪 が、人が 神の言葉と 世界の法律を 破ることがあり、罪を犯すするだ。しかし、 霊 的な原罪は、神のようになりたいことごとく。だから 人間は、神を 忘れてしまって、敵 対 し、偶像に仕える。だから、私たちは、この 二つを 原罪 と言う。ほとんどの 教会 の人 々 は、エデンの園で アダムとエバが 罪を 原罪と言うが、 霊 的な 原罪は、神の 国 で、サタンは 神のようになりたくて、神に 敵 対 したのが 霊 的な原罪の開始である。だから、サタンに 従 う すべての存在は、 霊 的な 原罪を 受け 継 いでいるのだ 。 『 あなたがたは自分の父、すなわち、 悪 魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、 真 理に立つ者ではない。彼のうちには 真 理がないからである。彼が 偽 りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は 偽 り者であり、 偽 りの父であるからだ。 』 (ヨハネ 8 章 44 節) 肉的な 原罪は、この地で 起こった ことだが、 霊 的な 原罪は 霊 的な世界で 起こることである。人間は、生まれながらに 罪人になっているのは、この二つの原罪をすべて 持って生まれるものである。原罪は 罪 性 ( 悪 )と偶像を含んでいる。罪 性 は 肉の体を 汚染させるが、偶像は 霊 を 殺す。だから 肉の体(罪)が イエスと一 緒 に 十字架で 死ななければならない。悔い改める者、聖 霊 の力によって、 霊 の体に 戻 って生まれ、 霊 が 復活する。だから 救いの 条 件は、肉の体が、イエスと一 緒 に 死に、 霊 の体で 再び生...

私の心の偶像が 貪欲である

    『 彼らは、 価 なしに、神の 恵 みにより、キリスト ・ イエスによるあがないによって義とされるのである。 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。 』 (ロ - マ 3 章 24-26 節)   今日では、多くの 偶像 は 「キリスト ・ イエスにある贖いによって 』 を 省略したまま、後ろの部分だけを 言う。もし 人 々 が イ エスを 信じさえすれば、彼らは 「神の 恵 みに 値なしで 義を 得る」と言う。贖いがなければ、罪の赦しを 受けることができない。ところで、人 々 が 考える:私たちは、「イエスの血のために、神から 罪の赦しを 受けた」。ところが、神が 悔い改める者 を イエスの血の代 価 を 支 払 って、サタンから買った。これ 値のない 恵 みだ。罪の代 価 は 死である。罪人は 死ななければ、罪から 抜 け出すことができない 存在だ。必ず 罪人は 対価 を 支 払 う。さて、神が 悔い改める者のために 自分の息子にとって死の代 価 を 払 うた 。   悔い改めとは 何ですか?罪人が 神にについて死ぬ者であるとわかっているのが 悔い改めであり、十字架のイエス ・ キリストと 一 緒 に 合わせているのだ。今日では、人 々 は 罪の贖いを あまりにも簡 単 に 考えている。そして、罪人は すべての罪を イエスに 転 嫁させようとする。彼らは 死なないだろう。にもかかわらず、彼らはイエスを 主と言いながら、彼らは世を愛して いる。彼らは神の 国 を 愛し、この世も大好きだ。神が イエスを 信じる者のために、血の代 価 を 支 払 うのではなく、イエスと 一 緒 に 死んだ者のために 血の代 価 を 支 払 う。イエスと 一 緒 に 死んだ者が、キリスト ・ イエスにようになる。血の代 価 を 支 払 うのは、どこで 行われるの?まさに 聖域の「和解のいけにえ」...